民話

更新日:2021年03月16日

多良間村の民話

報恩の碑の写真

報恩の碑
安政5年、岩手県宮古市の商船が座礁した場所。
乗組員を手厚くもてなし、本国に送り返したことに対して、そのお礼として碑が建立されました。

たらま島とっておきの話

今から約150年前の安政6年(1859年)1月、船長他乗組員7人が乗り込んだ岩手県宮古市の商船善宝丸は、江戸で諸用を終え宮古に戻る途中、台風に遭い、76日漂流して本村の高穴海岸へ漂着。島民は約2ヶ月間に渡り船長や乗組員を手厚くもてなし、無事、宮古へ送り帰し、そのお礼として、「報恩の碑」が建てられました。

これを受けて、中学生の交流を初め、宮古市からの製糖工場の季節労働者の受け入れが始まり、多良間と宮古市の愛宕小学校が姉妹校となりました。以来、特別な文書も交わさず「友好市村」としての交流を続けてきましたが、平成8年には、両市村の友好と親善をさらに深め、各分野の交流を図っていくために、姉妹市村の終結に向けて話し合いが行われました。そして、「報恩の碑」建立20年の節目に、姉妹市村として正式に締結され、児童生徒の相互交流体験学習などが積極的に行われています。

2009年1月、漂着から150年目の節目の年を記念し、宮古市と多良間村の絆をより深いものにするために、宮古市から副市長や議長をはじめとする交流団が多良間村を訪れ、交流を深めました。また、同年11月には、多良間から交流団が宮古市を訪問し、八月踊りなどの芸能を披露しながら交流を深めた。

多良間村に伝わる民話 金蠅のたましい

昔、イリスズ家のランプの光が、遠く、マガリ海まで明るく照らし輝いているので、
マガリ海岸の寄り木の神は、怒って「この光、何とかならないものか、けしからん。そんならあちらの娘を生捕りにしてやる。」と、
ある晩、カミディマスまで上って来て、
「カミディマスの神よ、神。あのイリスズヤーの光が、毎晩じやましている。
一体あれは何たることだ。さあ、あちらの娘を生捕りにして来ようじやないか。」と言ったところ、
カミディマスの神はあいにくいなかったが、ちょうど人間がそこに居合わせていて、
代りに「俺は今晩は忙しいから、 君一人行って来いよ。」と返事したところ、
カミディマスの神だと信じて、「では自分だけで行って来るから、 家から外に出ないでね。」と、
今行ったばかりと思っているうちに、
すぐ帰って来て「ほうら、捕えて来たぞ。大したことはないよ。」と。

人間が見てみると、大きい木の葉に金蝿一匹を包んで持って来たので、
「やったぞ、お利巧。」と人間はほめて、
すぐに「君はそれを持って行ってどうする。 おい、俺が黄金を持っているから、 さあさあ交換だ。」というと、
寄り木の神は、「ウン、よかううよ。さあさあ。」と交換してマガリの海に息せききって帰ったらしい。

人間は、さっそくイリスズヤーに、とんで行ったとこう、
もう一門の連中までいっぱいになって、泣き、騒いでいるので、
「何のことか。」「こんなこんなで。」と中の-人が、しゃくりあげながら話したので、
カミディマスから来た舅は、
「ああ皆さん、泣くのは止めて下さい。これは心配ないですから。」と言うと、
「こいつは一体どこの何者だ。死んだ人が生き返るということがあるかツ。」
「うるさい、こいつはどこの者だ。我々がこんなに悲しんでいる時に何たることか、すぐ家に帰れツ。」と。
もうあっちこっちから、どなられていたが、
「それでは醤さま私の手でこの娘を生き返らせたなら、私と一緒に結婚させて下さいますか。」というと、
-門の一人が、「どうですか皆さんこの男は、まさか神様ではあるまいしね。」
すると中の長者が、「ものはためし、まず話の通り聞いて見たらどうだ。」
尊い人の命のことだから昔静かにして聞き入っているとこう、
この男は、「では皆さん、一切払に任せて下さいよ。」と言いながら、持っていた金塊を、死んだ娘の鼻の中に押し込むと、
「キッファ、キッファ。」と大きなくしやみを連発して起きて座ったので、
営んなは、目はまん丸くして、あれよあれよと、駐ぎ驚いて、今までの顔中ぬれていた涙を拭きながら、
「ああ、これは、神様が心を寄せて、この男を遣わして下さったのだ。
ほんとにほんとに、よかったよかった。
では、これはほんとの命拾いだから、あなた様がおつしやる通り、
立派な夫婦にしなければなりません。」
とその晩は、夜明けまで喜びのお祝をして、みごとに結婚させ、夫婦にしたそうだ。