多良間神社

更新日:2021年02月16日

多良間神社

土原豊見親を祭る神社である。
土原豊見親は15世紀末に出現しアムガームラ、パリ゜マムラ、フタツガームラなどの島の諸勢力を統一し、点在していた集落を現位置に統合した郷土開拓の先駆者である。

多良間神社の創建―多良間小学校の校舎は明治34年まではかやぶきの建物でしたが、当時の多良間小学校校長進藤栄氏は、新たに瓦ぶき校舎建築を計画し、各御嶽の樹齢200余年の古木、フクギ(まわり1〜1.5メートル)の大樹を伐採させてその資材としたところ、御嶽の樹木は神木となしこれを伐採すれば神のたたりがあるとして、村民は誰一人手をつけることをこばむ風習があった。そこで進藤氏は、勇断をもって自ら伐採にオノをふるったので村人は安心して大木を伐ることになったと伝えられている。しかもけが人は一人もなかった。進藤氏は、これを豊見親のお加護によるものとして、神社を建てて永久にその徳をたたえるべきであるとし、島民の賛同を得て神社の造営に着手し、明治35年1月20日に社殿が落成し、鎮座祭がおごそかに行われて今日にいたった。以来村社として毎年1月20日に例祭が行われて今日にいたった。

社殿に保存されている御神体を初めとして数々の扁額、豊見親が使用したと伝えられるパナリ焼(現在学習館で保存展示)などは豊見親の徳を尊敬するあらわれである事は言うまでもない。
進藤氏は当時の心境を数え歌として作詞し、自ら額を掲げている。