多良間村の民話

2009/12/11 8:36 更新

報恩の碑
安政5年、岩手県宮古市の商船が座礁した場所。
乗組員を手厚くもてなし、本国に送り返したことに対して、そのお礼として碑が建立されました。

たらま島とっておきの話

今から約150年前の安政6年(1859年)1月、船長他乗組員7人が乗り込んだ岩手県宮古市の商船善宝丸は、江戸で諸用を終え宮古に戻る途中、台風に遭い、76日漂流して本村の高穴海岸へ漂着。島民は約2ヶ月間に渡り船長や乗組員を手厚くもてなし、無事、宮古へ送り帰し、そのお礼として、「報恩の碑」が建てられました。

これを受けて、中学生の交流を初め、宮古市からの製糖工場の季節労働者の受け入れが始まり、多良間と宮古市の愛宕小学校が姉妹校となりました。以来、特別な文書も交わさず「友好市村」としての交流を続けてきましたが、平成8年には、両市村の友好と親善をさらに深め、各分野の交流を図っていくために、姉妹市村の終結に向けて話し合いが行われました。そして、「報恩の碑」建立20年の節目に、姉妹市村として正式に締結され、児童生徒の相互交流体験学習などが積極的に行われています。

 2009年1月、漂着から150年目の節目の年を記念し、宮古市と多良間村の絆をより深いものにするために、宮古市から副市長や議長をはじめとする交流団が多良間村を訪れ、交流を深めました。また、同年11月には、多良間から交流団が宮古市を訪問し、八月踊りなどの芸能を披露しながら交流を深めた。

多良間村に伝わる民話 金蠅のたましい

昔、イリスズ家のランプの光が、遠く、マガリ海まで明るく照らし輝いているので、
マガリ海岸の寄り木の神は、怒って「この光、何とかならないものか、
けしからん。
そんならあちらの娘を生捕りにしてやる。」と、
ある晩、カミディマスまで上って来て、
「カミディマスの神よ、神。あのイリスズヤーの光が、毎晩じやましている。
一体あれは何たることだ。さあ、あちらの娘を生捕りにして来ようじやないか。」と言ったところ、
カミディマスの神はあいにくいなかったが、
ちょうど人間がそこに居合わせていて、 代りに
「俺は今晩は忙しいから、 君一人行って来いよ。」
と返事したところ、
カミディマスの神だと信じて、「では自分だけで行って来るから、 家から外に出ないでね。」
と、 今行ったばかりと思っているうちに、
すぐ帰って来て「ほうら、捕えて来たぞ。大したことはないよ。」と。
人間が見てみると、大きい木の葉に金蝿一匹を包んで持って来たので、
「やったぞ、お利巧。」と人間はほめて、 すぐに
「君はそれを持って行ってどうする。 おい、俺が黄金を持っているから、 さあさあ交換だ。」
というと、寄り木の神は、
「ウン、よかううよ。さあさあ。」
と交換してマガリの海に息せききって帰ったらしい。
人間は、さっそくイリスズヤーに、とんで行ったとこう、
もう一門の連中までいっぱいになって、泣き、騒いでいるので、
「何のことか。」「こんなこんなで。」と中の-人が、しゃくりあげながら話したので、
カミディマスから来た舅は、
「ああ皆さん、泣くのは止めて下さい。これは心配ないですから。」と言うと、
「こいつは一体どこの何者だ。死んだ人が生き返るということがあるかツ。」
「うるさい、こいつはどこの者だ。我々がこんなに悲しんでいる時に何たることか、すぐ家に帰れツ。」と。もうあっちこっちから、どなられていたが、
「それでは醤さま私の手でこの娘を生き返らせたなら、私と一緒に結婚させて下さいますか。」というと、-門の一人が、
「どうですか皆さんこの男は、まさか神様ではあるまいしね。」
すると中の長者が、
「ものはためし、まず話の通り聞いて見たらどうだ。」
尊い人の命のことだから昔静かにして聞き入っているとこう、この男は、
「では皆さん、一切払に任せて下さいよ。」
と言いながら、持っていた金塊を、死んだ娘の鼻の中に押し込むと、
「キッファ、キッファ。」と大きなくしやみを連発して起きて座ったので、 営んなは、
目はまん丸くして、あれよあれよと、
駐ぎ驚いて、今までの顔中ぬれていた涙を拭きながら、
「ああ、これは、神様が心を寄せて、この男を遣わして下さったのだ。
ほんとにほんとに、よかったよかった。
では、これはほんとの命拾いだから、あなた様がおつしやる通り、
立派な夫婦にしなければなりません。」
とその晩は、夜明けまで喜びのお祝をして、みごとに結婚させ、夫婦にしたそうだ。