多良間の歴史

2009/4/20 14:01 更新

 多良間島と水納島にいつ頃から人が住み始めたのか定かではありませんが、考古学的考察から先史時代には人が住み、島外との交流も行われています。その後、さまざまな伝説に残る人物が登場する中で、15世紀末に出現した土原豊見親春源は、群雄割拠を繰り返す諸勢力を統一し、点在していた集落を現在の位置に統合しました。1500年には八重山の赤峰(八重山では英雄)征討に従運し手柄をたてた功が認められ、尚真王から多良間島主に命ぜられます。以来、土原豊見親の子孫による統治が17世紀初めまで続きました。

 間切(現在の市町村)時代は、平良、砂川、下地の3間切のいずれにも属さず、宮古の特別行政区におかれたといわれています。塩川村と仲筋村、水納村に多良間首里大屋子、塩川与人、多良間目差、水納目差を置いて施政が行われました。

 明治24年、平良尋常小学校の分校が設立され、明治42年に特別町村制がしかれてからは、平良村の所轄となりました。しかし、分村希望する有志を中心に分村運動が起こり、大正2年に多良間村の村政が施行されることになりました。