3.日取りと稽古

2009/3/22 15:45 更新

 八月踊りの日取りは、両字の二才頭(神社御嶽の祭事を行う人)6人が旧暦の7月上旬会議の上、「ティパズミウガン」(手始め御願)の日と「パチュガツウガン」(八月御願)の日取りを吉日を選んで決め、字長に連絡する。

 字長は、旧盆が済む頃になると「手始め御願の日時を広告をもって字民に知らせる。その日は両字とも字の役員や二才頭はもとより、字の有志、各座の師匠及び踊り手等がそれぞれの踊り場に集合し、上酒、中酒、ショウカン(塩)を神前に供えて「手始め御願」を行う。しばらくしてお供えした上酒、中酒を酌み交わしながら、仲筋では「福緑寿」、塩川では「長寿の大主」、続いて「組踊り」等の役をとびとびに舞台で演ずる。

 そのあと、字長は、八月踊り開催の可否について提案し意見をまとめる。食糧自給の時代は、長い干ばつや大暴風に襲われた凶年では、生活に喘いで踊りどころではない、ということが往々にしてあったからである。

 その期日は、古くから旧暦の8月8日を「八月御願」の日とし、その日が仲筋の「正日」で、次の日を塩川の「正日」、次の日を「別れ」(両字)としていたが、大東亜戦争後になって旧暦8月14日以前で二才頭が選定した日に行うことになっていた。しかし、近年になって、再び昔に返り、旧暦8月8日を「八月御願」の日にするようになっている。

 八月踊り開催が決定すると、各座の責任者は、昨年以前に出演した人や新たに希望する者を集めて稽古に収りかかる。その練習や準備は責任者の家で行っていたが、公的施設が建設されたことによって、適当な場所で行っている。当日が近づくと舞台稽古で熟練するようにしている。

 昭和30年頃までは、指導が厳しく、とくに華やかな役については希望者が多いため抽せんや実際に演技をさせて決めるほどであった。そのためにせりふの記憶や動作を正しくするための努力は創造に固くない。近年は指導の厳しさが若干緩み、稽古に要する時間も少ないように思われる。

渡久山著