2.踊りの内容と種類

2009/3/22 15:45 更新

 多良間の八月踊りは、その踊りの内容から見て、土から生まれた「民俗踊り」と沖縄本島からもたらされた「古典踊り」および「組踊り」の二つに分けて考えることができる。

イ、民俗踊り

 「スースブーギス(小さいス)」(獅子舞い)「ボウアース」(棒踊り)、「ンニツキス(小さいス)ブドゥリ」(杵搗き踊り)、「ユリ゚ツキス(小さいス)」(ユリ゚は粗目のザル)、「ヨウイシー」(労役踊り)などがある。そのなかで、「ンニツキス(小さいス)ブドゥリ゚」と「ユリ゚ツキス(小さいス)」は、農耕などの生業に関する祭祀神事の一部であり、神に捧げて民もこれに和して楽しむ芸能として伝わっているもので、穀物類を調整するしぐさで踊り、音曲も、穀税を完納して祝うことを意味する多良間島の代表的民謡「たらまゆ-」によって演ぜられている。「ヨウイシー」は樵の労役のしぐさをおもしろおかしく演じているが、音曲の大部分が穀税に関するものである。ニ才踊りのうち仲筋の「タカパナリ」、塩川の「中たき節」や「多良間三星」、狂言の「ナナム゚ニ(耕作劇)なども「たらまゆー」の歌詞で踊っている。八月踊りを「皆納祝い」と唱えている所以でもある。

ロ、古典踊りと組踊り

 「古典踊り」(若衆踊り、女踊り)は「組踊り」の渡来以前にもたらされたか、あるいは同時点であるのか定かでないが、古典の曲目については、それぞれ「仲筋の踊り」と「塩川の踊り」の項で述べるので、ここでは「組踊り」を多良間島に導入した年代について考察を試みることにする。

 仲筋の組踊りのうち、「仲宗根豊見親組」は、地元で創作されたものだと伝えられているが作者は定かでない、その台本の表紙に「光緒十五年八月吉日写之」と書かれていることからすると、1889年(明治22年)以後に演じられたものと思われる。

 「忠孝婦人村原組」の台本には、筆写年月日は記されていないが、1800年作で、1838年と1866年の「御冠船踊り」に上演されたことになっているので、後者の台本の写しだろうと言われている。「ム゚ナカヤー」の先祖が当地にもたらしたとの説もあり、明治初年頃多良間目差を勤めた与那武会がもたらしたとの説もあるが、未だに定かではない。

 塩川の組踊りのうち、「忠臣公之組」は、1807年作で、1838年の「御冠船踊り」に上演されたと言われており、台本の末尾に「光緒拾九年癸巳九月吉祥写」と記されていることから、1893年(明治26年)以後に演じられたものと思われる。当地に誰がもたらしたかについては全く定かでない。 「多田名組」の台本にも筆写年月日は記されてないが「忠臣公之組」と同じ頃にできたのではないかと言われている。古老の伝承によれば、塩川では、明治28、9年頃「忠臣公之組」と「手水の縁」を上演していたが、事情によって「手水の縁」を廃し、代わって「多田名組」を演じるようになったと言われていることから、前三組より遅れて上演されたことになる。この「多田名組」も誰がいつ導入したかは定かでない。

 いずれにしても、多良間島で「組踊り」が演じられるようになったのは明治20年代になってからだと思われる。

 「組踊り」の構成人員は少ない方で16人多い方は20人を超すメンバーである。このように「組踊り」は、数多い演目の中でも八月踊りの主体性を持つものといえる。その上演は、両字とも午前の部にそれぞれ1組、午後の部にそれぞれ1組となっている。

 ところで、八月踊りを上演する時刻は、仲筋の正日(初日)の早朝、両字とも各御嶽や踊り場の拝所で「八月御願」の祭事を行う。

一方、踊りに関わる各座では諸準備をすすめ、午前10時から11時ごろ開始し、午後七時過ぎに終わっている。

 塩川の正日(2日目)も開始時刻は前日とほぼ同様であるが、終わりの時刻は幾分早い。それは「組踊り」の所要時間が異なることに起因すると思われる。

ハ、出演状況

 当時、15歳以上の者は正人と呼ばれ、正人男姓によってすべての役が演じられていた。古くは、士身分、百姓身分のきびしい制度がありながらも「民俗踊り」のみが演じられていたことになるが、「古典踊り」や「組踊り」が導入されると、士族はそれに飛びつき、「民俗踊り」は百姓だけで演じるようになり、それぞれ定着するようになった。いくら懇願しても百姓が「古典踊り」や「組踊り」に出演することは許されなかった。特に極端なことは、獅子舞いにおいて獅子になるのは百姓であり、誘い手は士族がやったということである。そのような慣習が長い間続いたが、漸く昭和34年頃から出演の身分差別が解消され、希望によって平等に出演することができるようになった。

 なお、正人男姓で演じていた「若衆踊り」や、「組踊り」中の子供役は中学生男子、さらには小学生男子が演じるようになり、「女踊り」や「組踊り」中の女役(母親役を除く)は中学校女子や女子青年や若い婦人等が演じるようになっている。また、「二才踊り」では「小二才」を中学生男子、さらには小学生男子が演じ、「大二才」にも中学生男子が加わることになり、「民俗踊り」の女役も女姓が演じるようになっている。「狂言」は男役、女役を問わず正人男姓のみで演じ、劇を中心に少々の手踊りが加わる程度であったが、近年、女姓による手踊りが主になり、劇は陰に潜みつつある。

渡久山著