6.八月踊り存続の要因

2009/3/22 15:44 更新

 「皆納祝い」「民俗踊り」に始まったものが、今日まで継承され、発展してきていることには次のようなことが考えられる。

 八月御願は、1637年に実施された人頭税の納税義務を果たした安心感、しかも、それは神のお加護によるものとして各御嶽に祈願を行ったことが習俗となって今日に至っている。そして、両字ともに八月踊り初日には早朝、各御嶽に参拝して祭事を行うことが慣例となっている。一方、住民の共同体の連帯意識が根強く残っており、その住民意識は大きな存続の力になっていると考えられる。1628年、宮古に間切制が施かれた際も、多良間島は特別行政区としておかれ、1908年(明治41年)特別町村制施行によって平良村の管轄となり、1913年(大正2年)平良村から分村して独立、その間、長い年月の歴史は宮古島との交通が不便で離島苦に悩んでいた。従って、昔ながらの部落共同体としての自治がそのまま行われていた。

 仲筋、塩川に出演する踊りの演目は、組踊りをもたらした明治中期以前の民俗踊り時代から、両字とも協議の上、これを公平に分け合って、しかも、異種同数で行っている。八月踊りの日取りも仲よく協調的である。また、技を競うという意味での意欲も、八月踊りの芸能効果をもたらしているものと考えられる。そのように各種要因で今日まで継承されている。

渡久山著